第90回ダービーに思う事。人間と馬との関係を考えてみた

ダービー

にっしん(@uma_nissin)です!

 

昨日28日に第90回ダービーがありました。

今回のダービーは、ダービーの歴史上、記憶に残るダービーになったでしょうね。

スキルヴィングがレース後に急性心不全で亡くなるという事が起きました。

 

今回の件で思った事を残しておくために色々と書き記しておきたいと思いました。

あまりまとまってないかもですが、思った事を書いているのであらかじめご了承ください。

事故がない事が当たり前でない

事故が起こってから思ってしまうのはどんな事でも言える事でしょうかね。

競馬に限った話ではありません。

 

そんな言われてみれば当たり前のような事でも実際起こらないと忘れちゃうんですよね。

 

無事何事もなく終わる事がいかにすごい事なのかを。

今回の件で少なくとも僕はよくよく分かりました。

 

僕自身、中学生の時に競馬を見ていて、サイレンススズカの事故をリアルタイムでテレビで見ていました。

その後どうなったかを同時は気になっていたのですが、結果を知ってショックだったことを今でも覚えています。

 

余談ですが、当時実家に競走馬のポスター、いやカレンダーの切れ端だったか記憶が定かではありませんでしたが、飾っていたのがライスシャワーでした。

当時、特別ライスシャワーが好きだったとかではないのです。

競馬雑誌の付録か何かについてたものを何気なく飾ったのかもしれませんし、本当にわかりませんが、ライスシャワーだったのははっきり覚えています。

 

ライスシャワーもレース中の故障がキッカケで亡くなっていますし、関連付けたくはないですが、何かとサイレンススズカといいそれぞれ思い出があります。

 

今回のスキルヴィングも実際のテレビを見ていたわけではありません、Twitterでつぶやいている人が多くてそれで気付いたというものですが、動画を観たときはショックでした。

 

他の事が手につかなくなるくらいでした。無事に走り終えることが当たり前ではないという事に気づかされました。

今後競馬を見る目が変わるかも

ここ最近、映画はほとんど見ておらず、むしろ競馬をよく見ていたのは中学生の時で、その時は史実とかも見ておらずレースというものを単純に楽しんでいたくらいです。

ウマ娘を知って、再度観たりするくらいで、今後東京に引っ越した時にはレース観戦をしたいと思っていました。

 

単純にレースを楽しむという気持ちでいましたが、前提として、無事に走り終えてほしいという気持ちで観る事が大切だなと思いました。

観戦の仕方は人それぞれだし、それぞれの考え方があっても良いと思いますが、少なくとも僕はそう思いました。

 

今回の件は、無事に何事も大事なく終わる事がいかに尊いか実感させられました。

競馬不要論を言う人がいるけど…

色々な方のツイートを見ていましたが、その時に「競馬は馬がかわいそうだから競馬自体をなくすべき」といったつぶやきをしている人が一部いました。

 

それに対して、
「そうなったら多くの競走馬が必要なくなってしまう」
「国の税金が」
的な事を言っている人もいましたね。

 

これも確かに一理あるし、ごもっともとも思いました。

ただ、競走馬はただ単に人間の都合だけで走らされているという事はないはずです。

 

少なくとも、関わっている人間である、馬主の方や調教師、厩務員の方は馬が好きでかかわっている方がほとんどでしょうから、無理やり走らせたり、体調を無視し足りはしていないはずです。

 

そうしているならもっと事故は起こるでしょうからね。

もちろん見世物的な考え方の人もいるかもしれませんが、そんな関わり方はしないはずです。

 

大人の事情的に考えても、馬主の馬を預かっている以上、ひどい扱いは許されないと思います。

仕事として結果にするという事を考えれば馬の体調を考慮するのは当然でしょうからね。

 

これは性善説的なものの考え方で、もっと黒いという意見もあるかもしれませんが、そうではない気持ちの方が多いと僕は信じています。

ネガティブコメントの方がポジティブコメントよりも与える影響は強いですからね。

有名人にクソリプする人もほんの一部って話も聞いた事がありますし、少数でもネガティブの力は強いって事が分かります。

 

だからこそ、スキルヴィングの事を悔やむコメントが多いのを見ると決してネガティブに思っているような感じで競馬の事を見ているとは思えません。

まあ、感情的に流されやすいというのが日本人ぽいと言われればそれまでですし、半年もすればそんな事なかったのように競馬を見る人がほとんどでしょうし、僕もその一人かもしれません。

忘れるという感情は良くも悪くも記憶を薄れさせてくれますが、そこから学んだことは忘れたくはないなと思います。

 

脱線しましたが、競馬不要論を唱える人は、今回の件で言えば事故の面だけ見て話しているだけで近視眼的なものの見方しかできないのかなって思ってしまいます。

 

競馬というものが特殊

ただ、競馬不要論という言葉がでるのは競馬ならではでしょう。

似たようなものに競輪や競艇がありますが、これはやっているのは人間ですからね。

 

人間以外の生き物と一緒にやってここまでの競技にできたのは馬だけですね。

もっと身近な生き物である犬や猫でもない事です。

 

競馬不要論の話に少し戻りますが、競馬が馬がかわいそうだから無くせと言うなら、ペットとして飼われている犬や猫も人間の都合で飼われているわけだから、自由に開放しろと言っているのと大差がないのではといった見方もできるかもしれません。

もちろん、そこがイコールになるとはとても思えませんが、ニュアンスが近いというのは分かるのではないでしょうか。

人間の勝手で家の中に入れたり、首輪で繋いでいるのは人間のエゴって言えますからね。自由を奪っている行為に他なりません。

なぜ犬猫はよくて馬はダメなのか、全員を納得させる答えを用意できる人はいないでしょうね。

 

ただ、長い歴史の中で馬ほど人間と深く関わってきた生き物はおらず、世界でレースがあるのを見ても、もし動物愛護の観点でいうなら日本より動物愛護に関して進んでいるであろう他の国で競馬がなくなっているはずです。

そこから考えても競馬不要論の考えは無理があるのかなと思います。

もちろん、僕が見えていな側面もあると思うので、僕が何もわかっていないと言われればそれまでですけどね。

 

人間以外の動物でここまで考えられるのは馬くらいなもので、言葉で交わせない分、色々考えることがある、色々な観点や見方があるのだと思います。

それだけに、馬の事をちゃんと考えて対応している、そして競走馬を称える銅像が数多くあると思いますが、犬猫ではあまりないですね。

それだけ、人間側も馬に対して敬意を払っている、人間の場合も国民栄誉賞を与えたりするのと同じ扱いなのではと個人的に感じます。

そういう意味でも、人間にとって馬という生き物は特別な生き物と思っている部分もあると考えられるのではないでしょうか。

 

競輪や競艇といった、似たようなものでも人間以外の生物が関わる競技はほとんどない、銅像を建てたりするなどいろんな意味で特殊で特別だと思います。

 

競馬というものの見方を考える機会に

こういった形が機会になるのはとても残念ですが、多くの人に競馬というものの見方を考える機会を与えてくれたのではないでしょうか。

いろいろな問題はあるでしょうが、それも含めて今回のダービーは意味のある形になったのではと思います。

そういう点からもスキルヴィングという馬がいた事を忘れてはいけないと思いました。

 

本当にまとまっていなくてすいません。

ただ、読んだ方が何かを考えるきっかけになれば、この記事の目的を果たせたと思います。

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